映画「パッチギ」より イムジン河
昨夜、
メタボリック親爺は、映画「パッチギ」を観て泣いていた。
メタボリック親爺がキャンパスに足を踏み入れるころには
火が消えた焚き火のようになっていた大学生生活。
要するにイデオロギーなんて語る者は誰もなく、
ただ遊ぶことに夢中な時代だった。
メタボリック親爺より少し年配の方々の青春は、いいも悪いも
燃えるような時代だった。
そして、リムジン河のような差別や日本人の悪辣な振る舞いま今はないだろう。
人間の貧しさが戦争を導き、悲劇を踏む。
もう、そんな時代が2度と来ないことを
メタボリック親爺は心から願っている。
しかし、そんな時代が
メタボリック親爺たちも知っておかなければならない。
元航空自衛隊幕僚長田母神氏の投稿論文の言いたいことも分からなくもない。
命がけで海外へ行く自衛隊もオリンピック選手のように日の丸を背負っている。
また、それ以上に重たい自分の命・家族への責任を背負っている。
この辺の政治的問題・憲法の問題もそろそろ解決しなければいけにのではないか?
日本人のいいところ「いい加減」は、
ちょうどいいところで…というポジティブにも取れるが
海外派兵に行かなければならない自衛隊員や海賊に拉致された船長はどうなるのか?
もし、海外派兵中に同盟国のアメリカ兵が攻撃を受け劣勢になっている時に
助けることはできないのか?
そんな時、そのアメリカ兵の家族はどう日本人のことを思うのか?
それが今の自衛隊の立場である。
リスクを負わせ。重荷も性負わせている平和憲法だ!
今のままの憲法でいいのか?
アジアの諸国が日本の軍事を恐怖を持つように、日本はアジアの軍事に恐怖を持つべきである。
そして、その軍事を平和のために使ってほしい。
人間は愚かな動物である。時として間違った方向に進む人々もいる。
メタボリック親爺は、あのリムジン河のうたに「どうしょうもない悲しさに」を背負わされた人々の痛みが分かる世界にして欲しいと思う!
そして、最後に2つに別れた朝鮮民族が、一つになれるようになってもらいたい。
メタボリック親爺の2009年の願いだ!
シニアの目の病気
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